2021年度3回目の開催となる おきなわ世界塾は「シリアの若者と浦添戦跡から配信」をテーマに、特定非営利活動法人難民支援協会(JAR)の協力を得て実施しました。沖縄在住のシリア人アフマドザカリッヤナクワンさんと沖縄戦の戦場となった浦添市仲間の「前田高地」からZoomにてライブ配信。特定非営利活動法人うらおそい歴史ガイド友の会の粟森弘政さんと浦添市で戦争を体験した又吉武市さんに当日の状況等の案内もしていただきました。おきなわ世界塾で、フィールドワーク先からのライブ配信に初挑戦し、県内外から116名の視聴者が参加しました。
開催日時:2021年6月19日(土) 9:30-11:45
開催場所:オンライン(Zoom)
参加人数:116名(高校生~一般含む)
1.【当日のプログラム】
①浦添城址と歴史的概要説明
②10・10空襲について紹介
③戦跡訪問(各地で解説)
ハクソーリッジの壁、陣地壕、米軍上陸地と慶良間諸島が見える丘、和光地蔵、浦和の塔、
ディーグガマ、前田高地、前田高地平和の碑、クチグヮーガマ
④質疑応答、まとめ
2.浦添城跡と歴史的概要 (担当:粟森氏、又吉氏)
那覇市の首里が琉球王国の中心地になる前は、浦添市が最も栄えた中心地であった。遠方の離島も見渡す事が出来る高台に城(グスク)を築き、繁栄を極めた。しかし、1945年4月1日に沖縄本島の読谷(よみたん)村に米軍が上陸し、沖縄戦が始まった。最初の激戦地は、宜野湾市の嘉数(かかず)高台。そこを米軍が占領した後、日本軍の本部がある首里城を目指す米軍と防衛をする日本軍との間で、今回のフィールドワーク先である「前田高地」で激戦が起こった。住民の4割以上が犠牲になり、一家全滅等の被害も起きた。
その戦争から逃れるため、当時8歳の又吉さんは沖縄本島の南部の糸満市米須(こめす)まで歩いて避難した。砲弾で傷ついた母親と収容所で再開し、一緒に久志村(現在の名護市久志)まで移動した。その際に、又吉さんは栄養失調でも苦しんだが、見かねた男性がヤギを食べさせてくれた事で体調が回復した。「ヤギへの恩は一生忘れない」と笑顔も見せながら当時の話をした。
3.戦跡巡り(担当:粟森氏、又吉氏、ザカリッヤ氏)
前田高地近隣に残る戦跡や慰霊碑を巡りながら戦争や住民の様子を伺いました。現在は高台から嘉数高台や米軍の普天間飛行場を見渡す事が出来、前田高地近隣は木々が生い茂っている。しかし、又吉さんは、「戦後は、木が全然無くなって、戦後に植えたりして今の姿になった」と話をし、粟森さんは、「これは戦争で亡くなった人達を供養するために建てられたお地蔵様です。」等の戦争の激しさとその後の様子も語ってくれました。
浦和の塔の真下にはディーグガマ(自然洞窟)があり、元々は御嶽(うたき、地元の人がお祈りに訪れる場所)であったが、避難壕としても使用された。戦後には浦添市内にもご遺体が多く残され、浦添市に戻った住民は、地域の奉仕活動でご遺体をディーグガマに最初埋葬していました。現在は糸満市の摩文仁(まぶに)に移動されたとのことでした。
ディーグガマの入り口に千羽鶴が置かれており、浦添市の小学生やキャンプキンザー(浦添市にある米軍基地)の子ども達が、一緒に供えている。粟森さんは、「日本人とアメリカ人の子ども達が一緒に千羽鶴を捧げに来る。その時に挨拶をさせてもらう事に誇りを感じる」という言葉がとても印象的でした。
又吉さんは、お兄さんが新兵として戦争に行った事や学童疎開に行けなかった事、別のお兄さんは疎開先で食べ物等に苦労した等の話をしてくれました。粟森さんは、学童疎開や根こそぎ作戦(子どもからお年寄りまでが戦争に駆り出した作戦)や普天間飛行場建設の際に多くの人が強制移住させられた等のさらに詳しいお話をしてくれました。
前田高地には北海道から来た人達が多く配置され、被害も多く、慰霊碑が建てられています。そこに向かう途中に、米軍関係の親子や地元の方々がその慰霊碑を訪れている姿を見る事も出来ました。時には平和学習を行っているアメリカ人の団体を見かける事もあり、沖縄事務所の修学旅行プログラムの平和学習コースでも前田高地を訪れて、様々な人が訪れ、平和を学ぶ地となっています。
初めてのオンライン配信のおきなわ世界塾でしたが、100名を超える方に参加いただきました。「子どもと一緒に参加出来てよかったです」という感想もいただき、多くの方に沖縄戦から平和を考える機会を作る事が出来ました。
参加者の皆さん、ご来場ありがとうございました。またのご参加を心よりお待ちしております。
*****参加者からの声*****
自分の地元である浦添での戦争などの歴史的なことはしっかり分かってはいなかったのですが、今回のイベントで浦添で何があったのかや又吉さんの当時の行動記録など、細かいことを知ることができてとてもいい経験になりました。(一般、男性)
本当に厳しい状況で生き抜かれた又吉さんの話を聞いて、ザカリヤさんの言葉『又吉さんが今生きておられ、こうやって皆さんに話せる事が出来る、笑えている、世界の皆がそうなればいい』という事を言われたのが印象的でした。(一般、女性)
実際に戦争を体験した人から話を聞く機会が減っていたのでリモートではありましたが、話を聞くことができてよかったです。(一般、女性)
(執筆:小林、写真:佐久間、金城)