日米の球界で活躍し、今季限りで現役を引退することを発表した松坂大輔投手はかつてこんなことを語っていました。
「夢って言葉は好きじゃない」
彼によれば、夢は見るもので、叶うものではない。自分は実現できないことは考えず、目標を設定して、その達成を目指す、その繰り返しだとのこと。ちなみに松坂投手を描いたノンフィクションのタイトルは『夢を見ない男 松坂大輔』(吉井妙子著)です。
夢は頭のなかで考えること。まさに「夢想」であり、彼にとっては実現できないことの代名詞なのでしょう。松坂選手が、自分はこうあるべきという「理想」をまず描いて、それを目指して進んだわけですが、たとえば組織としてメンバーが目標に向かって一緒に進むとき、「理念」だけでは不十分だと思うのです。
当会会長の雄谷良成は先日、明治維新の精神的指導者・理論者である吉田松陰の言葉を引用しました。
夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に、夢なき者に成功なし
これに倣えば、松坂選手は、「理想」の自分を実現するための準備(計画)をし、トレーニング(実行)を行うことで「成功」を目指すのでしょうが、そこに他者の存在が入ってきたらどうでしょう?
車いすアーチェリーの選手の上山友裕さんは、健常者と同じ距離の的に向け、同じ道具で矢を放ち、競うアーチェリーで成績を残すことによって、「パラスポーツは障害者にしかできないのではなく、みんなができるスポーツだということをアピールしたい」と語っています。この思いは上山さん個人を超えた、多くの人が共有する「夢」といってもいいと思います。
私たちの仕事もそうではないでしょうか。年齢や性別の差別、障害や疾病のあるなし、国籍の違いなどを超えた「ごちゃまぜ」の世界をつくるという夢をもって、その理想たるコミュニティづくりに取り組む。その過程では綿密な計画が不可欠であり、それを実行するための意志、知識、技術を身につけて、トライアル&エラーを繰り返す。そして成功に近づいていくーー。
目指すところを組織のメンバーが共有していれば、年齢やキャリア、性別など関係なく、自分の意見が自然と言えるものです。雄谷がときおり例に挙げるラグビーのニュージーランド代表「オールブラックス」は、常に自分たちが向上し、「グレート」であるために、選手同士、相手が誰であっても鼓舞、批判し合い(お互いのコーチング)、練習、ゲームに取り組んでいるのです。
そうした状態のことを私たちは「心理的安全性」と呼んでいます。「いまからは上司も部下も関係なく思うことを好きに言っていいよ」という飲み会の無礼講ではありません。オールブラックスであれば、常に個々の選手が「グレートオールブラック」でいるために、私たちにとっては「夢」に近づくために、です。
なぜ「夢」なのか。「理想」では不十分なのか。
冒頭の松坂選手の話にも関わってきますが、「理想」の実現にはストイックなものが求められます。松坂選手は、私たちの想像を絶するような努力を積み重ねてきたのでしょう。一個人としてはそれが可能なのかもしれません。チームとして厳しい局面を乗り越えるためには、気持ちが躍るような「夢」も必要です。楽しさがなければ、チームは長続きしないのではないでしょうか。
写真は、雄谷が金沢市の自宅の寝室から撮影したという中秋の名月です。8年ぶりに十五夜と重なった光景をベッドの上から撮影したとのこと。本人いわく、
「明日の会話は『月見た?』『良かったねー』『エッ、見逃したの?』。これも心理的安全性。厳しいことばかりではないんだよなあ」
日々のちょっとした会話が人を幸せな気持ちにさせてくれる。そうした積み重ねも心理的安全性につながっていくのではないでしょうか。 では、心理的安全性をもって、夢→理想→計画→実行→成功へと導くために私たちはどうすればいいか? その鍵となるのは「会議」のあり方なのですが、一筋縄ではいきません。会議については追々、記していければと思っています。