DAY1 後半 移民の経験を通じて考える、戦争と平和 ゆいまーる。
沖縄県は海外移民が多くいるのをご存じでしょうか?
出稼ぎなど経済的な理由も移民が盛んになったきっかけではありますが、戦後は呼寄移民として沖縄の社会復興への助けとして、大きな役割を担います。
今回は、戦前と戦後の「はじまり」に着目し、また沖縄戦との関わりや、相互扶助について探究!
フィールドワークでは、南風原文化センターの資料館見学と南風原町の日系移民に関わる街中を巡りました。
資料館の沖縄陸軍病院南風原壕の再現エリアでは、ケガを負って横たわっている住民の寝台やマネキンによる手術の再現、当時の「穴の空いた砲弾の塀」などの遺物が展示されており、沖縄戦のリアルな再現を目のあたりにし、学生たちは当時の悲惨さを感じている様子が伺えました。
戦後史ゾーンでは、政治や社会の動きだけでなく、庶民の逞しい暮らしや娯楽が紹介されており、移民ゾーンでは、沖縄は昔から土地や資源が乏しく貧しい暮らしを強いられてきたため、戦前から多くの人々が海を越えて移民してきた歴史など戦前・戦後の移り変わりについて年表を通して知ることができました。
南風原町の街中では、うちなーらしい伝統文化を発見するビンゴを解きながら、
移民の足跡を辿るエリアを回りました。
“祈和の塔”の礎に刻まれている名には、不思議な書き方をされている方々も多くおり、
どうしてだろう?と考えを巡らせる場面も。
「かぼっちゃマン」が見つからない!と必死に探す様や、「ブーゲンビリアってこの花かな?」
「本当にバナナの木がある!」と地元では見ない光景に目を輝かせていました。
途中、ルートから外れてしまう場面もありましたが、グループで協力し合いながら一丸となってゴールまで辿り着きました。
ワークショップでは、「モーキティクーヨー」というウチナーグチについて触れ、”貯めたお金を親に送りなさい”という意味を解説。
沖縄県の歳入6割が海外の移民先からの送金で占めていた背景を知り、当時の沖縄を象徴するような言葉として今も語り種になっています。
またフォトランゲージを用いて、当時の暮らしぶりをみんなで想像してみました。
「見えない奴隷制度のよう」「見張り役が銃を持っているのはなぜ?」
「自己犠牲だと感じた」「同郷の愛がないとできない」などディスカッション。
沖縄戦当時、アメリカ軍の通訳兵として沖縄戦を体験した移民者の話しの他、兄弟で敵対した過去、
移民先での強制退去の話しなど、戦争がもたらした「差別と分断」についてうちなーんちゅの悲しい
過去にふれ、戦後復興期は移民者による沖縄救済活動で、豚が贈られてきた話など、異国にいながらも同郷を深く思う“ちむぐりさ“の心を知ることができたと思います。
振り返りでは「当時移民先から見た沖縄のこと、他の県の移民のことにも関心が湧いた」
「排日や戦争後、移民の人々はどうなったか知りたい」等、事後学習での目的意識がはっきり出てきた学生もいました。
普段は、海がきれいなイメージの観光立県、おきなわ。
今回は影の部分をたくさん見てきて、これまでの沖縄の歩みに少しでも関心を持つことができたら幸いです。
次回は、二日目実施の「多文化共生コース」の様子をお届け予定。
お楽しみに!