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投稿日: 2024年3月14日

【沖縄】平和を想う気持ちはみんな同じ、パート②-米軍視点-

6月23日、沖縄県ではとても大切な日。

組織的に終戦したとして「慰霊の日」というメモリアルデーに制定されています。

沖縄戦から79年がたち、平和祈念公園ではもちろん、各家庭や会社でも正午には黙祷を捧げました。

当会の平和学習プログラムでご案内している「浦添城跡コース」は前田高地と呼ばれる高台があり、激戦地となった場所です。

他方、同じ場所を米軍側では「ハクソーリッジ」と呼ばれています。

この場所にはうちなーんちゅや修学旅行生が平和学習で訪れる他、米軍の方々と遭遇することもしばしば。

彼らがそこで何を想い、どのように沖縄戦が語り継がれているかを知るべく米軍基地内にある資料館に研修へ行ってきました。

資料館で目にしたのは展示品として陳列されている多くの遺物。ガラスケースで入っているものもあれば、直接触れるものもあり、特に印象に残ったのが日米両軍の軍服でした。通信機器の装備の有無、素材の違いなど比較し、当時の軍事産業の差を感じさせられる場面でした。

  

  

他にも米軍側は、「第二の敵」に備え、足元にも大きな注意を払っていたのだそう。

「第二の敵」とは人ではなく、「ハブ」だったそうです。

沖縄戦で亡くなる原因はハブやマラリアの割合も占めている、と改めて気づかされた瞬間でした。

また豊見城市にある旧海軍司令部壕は米軍側でも有名な場所で、沖縄に赴任したばかりの兵士が見学に行くそうで、そこでは、沖縄の地形を最大限に利用した今も残る負の戦跡、として壕の造りに驚くのだそうです。

浦添城跡コースの他、本島での最初の激戦地として宜野湾市にある「嘉数高台」コースを案内していていますが、米軍から見た激戦地は那覇市にある「シュガーローフ」と言われており、海兵隊から多くの死者を出したとして、語り継いでいるそうです。

亡くなったのは沖縄県民や日本軍だけではなく、敵対した米軍側もたくさんの死者を出し、戦争はどんな場所やどんな立場でも「悲惨な出来事」でありとても悲しい気持ちになりました。

  

  

平和祈念公園にある平和の礎は世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んでいます。そこにウチナーンチュの平和を想う心が表れています。

戦争を直接体験した語り部の方が減少する中、この感じた想いを「戦後生まれの私たちが出来ること」として、次世代へ繋いでいけるよう、これからも日々精進していきたいと思います。

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